化け猫を化学する ウイルス防疫から見る、アヌビスと狐憑きとケットシー

 


文責・世界伝承病理学研究会

 

 ◆◇◆

 


世界中の人々から愛されるネコ。


その可愛らしさ、神秘性、賢さを持ち合わせた姿は、人類を長い間魅了し続け、さまざまな文化を生み出している。


しかし、そのイメージには非常にアンビバレンスなものだ。


例えば化けネコは、古代エジプトのセクメト神や、葬式の際に現れて人の死体を貪る火車、2本の尾を持つネコマタ、ヒンドゥー教のヴェータラ、コーンウォールのキャスパリーグや、中国の仙狸、金華猫として、恐れられる。


一方で、古代エジプトのバステト神や、日本の招き猫、イギリスのウイスキーキャットや、童話の長靴を履いたネコ、中国の猫将軍のように幸運のシンボルとしても愛される。

 

本論は、そうした吉凶、猫の矛盾する文化について、防疫や病理学の視座から分析を行うものだ。


古代エジプトのアヌビス、我が国の狐憑き、それからヨーロッパのケットシーなど世界に残る多くの伝承は、その根底に共通する病気や症例がある。

 

その症例こそが、狂乱であったり、死や火のイメージを形成しているというのが本論の骨子である。

 

 

例えば現代で狐つきと言えば、てんかんと認識されるように、それらの症例に対して具体的な名前を挙げると、


トキソプラズマ症や、パスツレラ症などが、それである。


これらの病気は、有病率には地域で大きな差があるとはいえ、非常に広範に世界中で見られる感染症である。

 

驚くべきことにトキソプラズマは、おおむね世界人口の3分の1が感染していると推測されている。


ゆえに化け猫のイメージには、世界的に共通する点が多々ある。
そして幸運もまた、同じく共通点がある。

 

本論では、人類が猫に対してどのような種族的なペルソナ、キャラクター性を付与してきたかを、病理を通して明らかにする事によって、そこから逆算し、神や悪魔の作られ方と、そのレシピを公開することを論旨とする。

繰り返すが、本論は、猫や妖怪やモンスターとは何かについて論じるのではない。
その構成材料とレシピを集めて、どうすれば、怪物や伝承文化を意図的に作り出せるかを論じるものである。


そして、これが文化人類学者、ゲームや漫画アニメ、Vtuberなどでキャラクター制作をする者の一助となることや、医学関係者の酒のツマミになることを意識している。

 

少々長いが、ぜひ楽しんでいってほしい。

 

 ◆◇◆

 

0.


さて、読者諸兄の自宅には、飼い猫がおられるだろうか?

 
一般社団法人ペットフード協会が2022年(令和4年)に行った全国犬猫飼育実態調査によると、どうやら日本に飼い猫は883万7千頭ほどいるらしい。

当時の日本人口、1億2592万7902人と比較すると、これはおおむね70.17パーセントにもあたる数値だ。

多頭飼育を考えに入れずに単純計算すると、日本人はおおよそ10人中7人が猫を飼っていることになる。

しかしこれは、日本に生息する全ての猫であるとは言えない。

ここからさらに、野良猫の存在が上乗せされる。

岡山県の鍋島、愛媛県の青島、山口県祝島、熊本の湯島など、

「人よりも猫のほうが多い」と、口々に噂される島は少なくない。

猫という動物が、いかに私たちの生活に溶け込んでいるかが伺い知れる。


おそらく、読者諸兄とその縁者の家にも、なんらかの形で猫がいることであろう。

そして、それはキャラクターという、架空の次元においても、同じである。


ハローキティに、ドラえもん妖怪ウォッチのジバニャン、ポケモンニャース、工事で働く現場ネコ
ドラゴンボール破壊神ビルスに、招福の招き猫。

海外に行けば、トム&ジェリーに不思議の国のアリスのチュシャネコ、長靴を履いた猫に、フェリックス・ザ・キャット(フェリックスはラテン語で幸運のことである)などなどが、よく知られているだろう。

 

ネコのキャラクター数は有名、無名問わず砂の数ほど存在する。

先ほどの70%という数字は、その肯定的イメージの発露、とも言えるだろう。

 

そしてそれは現代に限る話ではない。
猫は縁起物のシンボルとして古くから長く愛されてきた。


例えば、京都の檀王法林寺では、盗難火災から守ってくれる主夜神という神を祀っており、その使いが黒猫だと言われる。

江戸時代では、本物のネコが貴重で少なかったために、ネズミを駆除するための呪具として猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいた。


新田氏宗家で交代寄合旗本であった岩松家では岩松義寄から岩松俊純までの4代にわたって、ネズミ避けのため直筆の猫絵を下付したことで「猫絵の殿様」として知られていた。


海外に目を向けても、エジプトにはバステトという猫神がおり、豊穣のシンボルとされた。

紀元前1600年ごろの古代エジプトの王墓には猫が壁画として描かれており、猫が亡くなると喪に服して眉を剃ったとされている。

ヨーロッパでは飼い主に幸運を授ける長靴を履いた猫に、家事をお手伝いしてくれるケットシーの存在がある。


中国の初期の仏教では猫の静かな態度に敬意を払い、暗闇でも目が見えることで悪霊を祓うことができる動物として大切にされた。


タイではロイヤル・ファミリーのメンバーが埋葬されるときは猫が一緒に埋葬される慣例があり、1920年までは新国王の戴冠式の行列に猫も加えられていたという。

イスラムでは預言者ムハンマドも猫を愛しており、猫が自分の長い袖の上で寝ているのを見て、猫を起こさないように袖を切り落としたという、ほっこりエピソードまであるくらいだ。


いずれの時代も、猫は害獣のネズミとセットで語られるラッキーシンボルとして、人間社会で受容されてきており、一つの立派な文化圏を築いていると言える。


猫は、生活を潤す愛らしい「人類」のパートナー。

という見解は、世界のデフォルトだと言っても過言ではない。


ところがだ。
冒頭で指摘したように、これだけ人間に身近な生き物であるにも関わらず、一方で猫はダークなイメージも持ち合わせている。

日本では、年を経て尻尾が2つに分かれて人間を食うようになった猫又のことを思い出す人間もいるだろう。


悪霊の猫に憑かれた人間は理性を失い、よだれと汚言を撒き散らしながら暴れ回るという。

現代医学において、これはてんかんの症例と類似しているため、そのように解釈されることも少なくないようだ。

 

またヨーロッパでは黒猫は邪悪な魔女の使い魔とされ、先にも挙げた妖精ケットシーは時として人間に牙を剥く。

エジプト神話で、バステトと遂になる破壊と戦争の猫神セクメトがいる。


かの女神は、太陽神ラーが私たち人間を絶滅させるために、人界に送り込んできた邪悪なる刺客だ。

 

吉と凶。

先に挙げたように、この二律背反するシンボルイメージは、「キャラクターの方向性の違い」という定型化された言葉だけで片付けられるほど小規模ではない。


日本、中国、ヨーロッパ、エジプトと、猫を飼育する場所において普遍的に見られる現象である。

なかにはケットシーのように、同じ猫のキャラクターであるにも関わらず、背叛する二面性を持つものさえいる。


では、この奇妙なパラドックスは、一体どこから来るのか?

本稿は、病理という観点から猫の持つイメージについて細密に分析する。

 

そしてその際、混乱を防ぐため、本稿では、幸運の猫のイメージと物語を

「吉性・猫型伝承」


邪悪な猫のイメージと物語を、

「凶性・猫型伝承」

と、区別する。

さらに、その区別は何が原因であり、どのように変遷し、そしてこれから先どこへ向かうのかについて考察し、


1.人類とネコとの歴史の概要


2.吉性・猫型伝承の例と幸運の類型


3.凶性・猫型伝承の例と凶の類型


4.シンボル化と宗教の誕生


5.宗教の作り方と、そのレシピ


という導線で、順に追って記す。

 

幸運であると同時に、邪悪。


愛しつつも、恐れて憎む。
なぜ、人間は猫に対してこのようなアンビバレンスな感情を抱くのか。

本稿では、そんな不思議な猫の世界に、読者をご案内したい。


それでは、医学というカンテラを片手に、古代の闇の世界に降りていこう。

 

 

  ◆◇◆

 

1.


私たちと猫との付き合いは長い。

2004年4月に報告されたキプロス島の約9,500年前の遺跡では、約30歳の高貴な人物の墓に、人骨から40 cmほど離された状態で埋葬されていたという。


古代のキプロス島に、野生のネコ科動物は分布しなかったため、このネコは、人が持ち込んだものと考えられている。

このキプロス島の例が、直接的にわかるネコの最古の飼育例と、執筆当時の現在ではされている。

高貴な墳墓に埋葬されることからも、このネコが愛されていた事が伺えるだろう。


日本の遺構においても、それは同じである。

兵庫県姫路市の見野古墳群で2007年に出土した須恵器には、ネコの足跡のようなものがついており、どうやら古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭)には、すでに飼い猫がいて、しかも為政者に悪戯を許容までされていたようだ。


また、記録に残る最古の日本ネコは、光孝天皇の時代が最初とされる。

宇多天皇の日記『寛平御記』寛平元年(889年)2月6日条には、黒い毛並みの猫が、太宰大弐源精によって光孝天皇に献上され、数日後に宇多へ下賜されたという記述があり、これはどうやら仏教の経典をネズミから守るために大陸から連れてこられた「唐猫」を起源とするものらしい。


また、2004年に発行された「新猫種大図鑑」によると、猫が日本に伝わったのは999年の5月10日であり、中国の高官が一条天皇に真っ白なメス猫を献上した日だとされている。

この、命婦の御許(みょうぶのおとど、みょうぶのおもと)と、名づけられた猫は、日本で記録に残る最古の名前を持つ猫である。

後に5匹の子猫が京都御所で生まれ、日本では猫は「吉兆」の動物というイメージがもたらされたらしい。


以上の情報から鑑みるに、我が国の猫の起源については、どうやらもともと列島には生息しておらず、稲作と共に大陸から複数回に渡って、長期的に輸入されてきたようである。

では、それ以前の飼い猫は、どこから来たのか?


遺伝子解析をすると、どうやらイエネコの祖先は、約13万1000年前(更新世末期アレレード期)に中東の砂漠などに生息していたリビアヤマネコの亜種であったらしい。

2007年6月29日の『サイエンス』誌(電子版)の発表では、世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAとマイクロサテライト遺伝子の分子系統解析の結果、リビアヤマネコとイエネコが同じ系統に含まれる
事がわかっている。

この事実から、イエネコの起源は、9,000年以上前に肥沃な三日月地帯で初期の農耕の成立にあたりなのではないかとの推定が立てられている。

 

ただし、その起源はもっと遅く、古代エジプトであるとする説もある。

というのも、紀元前3,000年頃の古代エジプトの遺構から、ネコのミイラが大量に出土するからだ。

古代エジプト起源説では、小麦や大麦などの栽培が盛んであったため、貯蔵している穀物を食害するネズミを食べることが家畜化のきっかけとなったと考える。


一方、エジプトよりも少し遡る中国では、約5,300年前に、中国中央部の遺跡である泉湖村(Quanhucun)で「穀物を食べる動物」を食べていた?

と思われるネコの骨が発掘されている。

ワシントン大学の研究者フィオーナ・マーシャルと中国科学院のヤオウー・フーが、アメリカの学会誌『PNAS』に発表した論文によると、泉湖村では、約6,000年前から人間が定住していたという。

そして、この論文では、狩りよりも穀類で栄養を得ていたことを示すネコの骨や、老齢まで生き延びたネコの骨も泉湖村の遺跡から発掘されたと指摘している。


これらは現代で言われるところの、飼い猫か、半野良とも言われるものではないか。


しかし、泉湖村のネコについては、血統を突き止められるだけのDNAを見つけることができなかったため、彼らがリビアヤマネコの血統に属していたという確信は得られていないという。

 

日本、中国、エジプト、イタリアと見てきたが、飼い猫には同時多発的な、複数の起源があると仮定しても、遺伝学的には、リビアヤマネコの子孫が、世界中に広がったという見方が、主流である。

 

翻って鑑みると、現在のリビアヤマネコは、アフリカ北部、中近東、アラル海までの西アジアに生息しているので、おそらく家畜化された猫は、これらの地域から、連れ出され、

小麦や、稲といった穀物の伝播ルートなどの現地猫と混ざり合いながら、日本まで時間をかけて伝来してきたということが想定できる。

 

これは、シルクロードならぬ、キャットロードだ。

いずれにせよ、日本、エジプト、中国と地域に関わらず、ネコの飼育は穀物の栽培とセットで行われていたようである。


先にも述べたように、猫は、穀物を食べるネズミを食べるという習性から、厚遇された。

そして、ネズミは大量の穀物が保存されているところに現れる。

つまり、猫を飼育する必要性があるのは金持ちであり、指導者であり、知的階級層であった。
猫を買うと幸運になるのではなく、金持ちだから、舶来品の珍しい猫を飼うことが可能なのである。

この結果と因果の逆点が、幸運のシンボルイメージを形成したのだと思われる。


フランスの思想家ブルドューは、著書
ディスタンクシオンの中で、目は資産であると喝破した。

資産がなければ、余暇は生まれず、余暇がなければ、物の価値や意味を学ぶ余裕もない。そして知識、物の価値や意味を知ることは、新たな富を産むのだ。


ゆえに知識は力であるというのがその概要であるが、猫もまた同じである。

古代人のエスタブリッシュメントたちがしたであろう知識の独占によって、神秘のベールに包まれた猫たち。


そのシークレット・ドクトリンが、猫のシンボル化に寄与したことは言を俟たない。


やがて時代が下り、その飼育頭数が増えるにつれ、ネコはそれぞれの土地に根付いた、多種多様な文化を生み出していくこととなる、、、

 


  ◆◇◆

2.


それではいよいよ、ラッキーシンボルとしての猫の話、「吉性猫型伝承」を見ていくとしよう。

 

先に述べたように古代エジプトでは、ネコがライオンの代わりとして崇拝され、バステト=女神として神格化(キャラクター化)も、なされていた。

中でもバステトは下エジプトのブバスティスを中心に信仰されており、2018年、サッカラにある4500年前の墓からネコのミイラ数十体とバステトの像100体を発見されるほどの人気を博していた。

(現代に例えれば、王墓はハローキティのぬいぐるみ部屋といったところかもしれない)


またエジプト第1王朝の時代には毒蛇を殺しファラオを救った猫がいたことから、猫頭の女神マフートは毒蛇やサソリから守る守護神となった。


紀元前1350年頃のトトメス王子などは愛猫が喪われた際にミイラにして弔い、それ以降、愛猫のミイラ葬が行われるようになったという。(これは前述のサッカラの例と矛盾するため、おそらく後世の後付けだろう)

現代の映画「ハムナプトラ」でも、邪悪な古代エジプトの神官イムホテプが、猫を見て逃げ出すシーンが描かれている。


驚くべきことに、猫を殺害した場合、故意でも事故であっても死刑!

という江戸時代の生類憐みの令のようなものまで、古代エジプトにはあったらしい。

これらの逸話から、エジプトでは猫は神聖な動物であり、国外へ連れ出すのは禁止とされていた。


エジプトとペルシャの戦争時、ペルシア側がネコの顔を自軍の盾に描いたり、生きたままの猫を盾に縛り付けてエジプト兵をゆうゆう追い払ったという逸話、


2世紀の歴史家・ポリュアエヌスが著書「戦術書」で記した紀元前525年
の出来事は、インターネット・ミームとしてあまりにも有名である。

 

 


また古代ギリシャにおいても、それは同様であり、紀元前5世紀のヘロドトスもその著書、「歴史」において飼い猫が亡くなると、眉毛を剃って喪に服すと記述している。

紀元前1世紀の古代ギリシャ歴史家であるシケリアのディオドロスも、「歴史叢書」の中で、猫を殺すことを禁じていると述べている。

彼によると、紀元前60年から56年の間に猫を殺したローマ人がリンチされていた、

猫や鷹が海外にいるときは買い戻してでもエジプト国内に連れ戻していた、

など、どうやら古代の愛猫家たちの法律は、国益という観点から猫を扱う、かなりラディカルなものであったらしい。


さらにヨーロッパに視点を移すと、イギリスでは、黒猫を飼っていると海難事故を避けられると信じられていた。

これも、航海中、ねずみが食料やロープなどをダメにしてしまうため、どうやら駆除のために猫が飼われていたようである。


酒造業ではウイスキー蒸留所やビール醸造所では古くから原料の大麦に寄り付くネズミを駆除するためウイスキーキャットと呼ばれる猫を飼ってきた。


こちらも同じく、害獣駆除スタッフとして文書に記録されたり、蒸留所のマスコットとして親しまれたりしている。

 

また、これらの傾向は店舗などを営む自営業者においても同様であり、黒猫を飼うと商売が巧くいくとも言われ(福猫と呼ばれた)好んで飼う場合もあったという。

フランスでも同じく、黒猫を大事に世話すると、お返しに富をもたらすと信じられていた。

これらは、奇妙と思えるほど日本の招き猫と一致する話である。


イギリスの社会人類学ジェームズ・フレイザーは、その著書「金枝篇」にて、中世ヨーロッパでネコは麦穂の精霊と同一視され、中国でも獣偏に苗(正字体では「貓」)と書くように、稲穂の精霊とされていたと主張している。


事実、ネコの五感で最も優れているのは聴覚であり、可聴周波数は60Hz - 65kHzとされ、イヌの40Hz - 47kHz、ヒトの20Hz - 20kHz に比べて高音域に強い。これはネズミなどが発する高音に反応するよう適応したためといわれている。


なるほど、穀物を荒らすネズミを食べるため、猫は精霊として信仰されたというわけだ。

 

 ◆◇◆


しかし、これだけでは、従来の説の後追いである。

そこで、本論ではこれらの伝承をより深く理解するために視点を広げて見ていく。

そこで本論が重視するのは、他の動物における、幸運型伝承との比較である。

悪魔憑きの記事でも前述したように、シンボルとは、さまざまな事象を束ねたものであると本論は解釈する。


幸運のシンボルについて考察する際、キーとなるのは、シンボルそのものではなく、生活様式や環境、周囲の生物環だ。


そこで古代エジプトを見ると、猫と同じく神聖と扱われた動物がいる。

それは、はやぶさである。

隼は、天空に浮かぶ月の神でもあり眼病を癒す神として眼病患者たちの信仰を集めた。

ホルスと言えば、おなじみの名前で理解ができるだろう。

隼は、古代エジプトでは、国王の化粧板など用いられるほど、支持を集める幸運のシンボルであった。


先に猫を吉性猫型伝承としたが、隼は吉性鳥型伝承である。


『図説エジプトの神々事典』によると、上エジプトでは、つがいの隼が信仰の対象となっていたが、実際には、隼はエジプト全土で信仰されていたらしい。


また、猫、はやぶさと同じく神聖、幸運として扱われた動物に、他には蛇が挙げられる。


日本において、白ヘビは、豊穣や幸運の象徴とされ、特に岩国のシロヘビは有名だ。また、赤城山赤城大明神もまた大蛇神である。

ヘビの抜け殻(脱皮したあとの殻)を「お金が貯まる」として財布に入れる風習などは、読者も一度は耳にした事があるはずだ。

ギリシャ神話においてもヘビは生命力の象徴である。

杖に1匹のヘビ(クスシヘビ)薬蛇が巻きついたモチーフは「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、欧米では医療・医学を象徴し、世界保健機関のマークにもなっている。また、このモチーフは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍隊等で軍医や衛生兵などの兵科記章に用いられている。

杯に1匹のヘビの巻きついたモチーフは「ヒュギエイアの杯」と呼ばれ薬学の象徴だ。


縄文時代の遺跡からもヘビをかたどった土偶が出土しており、ヘビは、日本では古来より、ネズミを捕食するところから穀物神、それが転じて田の神、ヘビと龍との習合から水神、さらに財宝をつかさどる弁財天の表象・化身ないし神使として神聖視されてきた。

 


、、、そう。
幸運のシンボルである猫、はやぶさ、蛇を比較して俯瞰すると、生物学的に共通する点が見出せる。

それは、全員が「中間捕食者」であるという点だ。

すなわちネズミ、スズメ、ハト、害虫を食べる。

彼らはつまり、生態ピラミッドにおける、人間の競合相手の、捕食者なのである。

敵の敵は味方というロジックだ。

 

逆説的ではあるが、穀物を掠め取るネズミや小鳥がいるゆえ、ネコの吉性伝承は生まれる。

 


幸運とは何か?
その答えは、目に見えない霧や雲のようなイメージなどではなく、もっと実利的なものである。

幸運は、「摂取カロリーの増加」と、「防疫」なのだ。


商売繁盛、家内安全、無病息災は、組み合わさることで、幸運となる。


繰り返すが、シンボルとは、生活のパラレルな事象を束ねたものなのである。


我々が今、文字として使用している最も普遍的なシンボル、、、

アルファベットでさえ、元来、アレフ=牛、ベレト=家の意味である。

 


猫の鉤つめしっぽが古来から魔除けアイテムとして人気があるのは、現代のTwitterに置き換えると、


ベランダの鳩の巣のそばに、100円ショップの蛇のおもちゃ置くと逃げる!


とか、山や川でのレジャーの際は、サンライン社が販売している「おにやんま君」で、寄ってくる蚊やあぶを追い払う!

という、生活の知恵と同質のものなのだ。


本稿の主張はすなわち、「シンボル=事象の集合」ということである。

幸運に、神秘性や特別性はない。

ゆえにシンボルをイメージとして解釈することは、誤解を招く。

なぜなら、イメージは、個人差の大きな概念だからだ。


神聖は良いもの、邪悪は悪いもの、猫は可愛いものetc...

これらは、ただ私たちが勝手に抱いているイメージなのである。


よってシンボルを解釈する際は、まずイメージと切り分け、事象を整理する必要がある。

 

 

(ちなみに、現実においてのはやぶさは肉食性であり、主にスズメやハト、ムクドリヒヨドリなどの体重1.8キログラム以下の小さな鳥をメインに捕食する。
ネズミなどの小型哺乳類を食べるのはまれであり、眼病予防信仰を集めたのはおそらく当時の小型の鳥類になんらかの病原菌、家禽コレラニューカッスル病、高病原性鳥インフルエンザ家きんサルモネラ感染症や、原虫のキャリアがいたのであろう、

紙幅の関係で、はやぶさに関するこれ以上の言及は避ける)

 

 

 ◆◇◆


3.

幸運とは、摂取カロリーの増加と、防疫である。


この意味について理解したところで、
今度はシンボルとしての猫に、裏側から光を当てて透かしてみよう。


表の幸運が猫なら、その裏側は不運であり、ネズミである。

そこでまずは、獣害について述べる。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)を紐解くと、国連食糧農業機関(FAO)の調査では、アジアでは穀物の全生産量の20%以上がネズミに食べられており、全世界の平均をとっても、農産物の10%以上がその被害にあっていると記されている。

現代の極めて高度で洗練された技術においてですら、この有様である。

古代においては言わずもがなだ。収穫した穀物が半分以上失われていたとしても全くおかしくはない。


農業が未発達な上、化学合成肥料もなく、ハーバー・ボッシュ法以前、土地1単位あたりの生産量も限られており、穀物が貴重であった古代、害獣がいかに重大な、ともすれば飢餓による命の危険さえある存在であったかについては簡単に想像できる。

ではなぜ、ネズミはこれほどまでに、食べるのかというと、それは活動的で、繁殖が旺盛であるからに他ならない。

ネズミ算という言葉もあるくらいだ。

中でも人間と生活環の近しいドブネズミは、出産後から数時間で次の交尾が可能という間隔の短さである。
生まれた子の成熟も早く、生後15日で巣立ち、2か月で性的に成熟し、繁殖を始める。

 

吉田光由『塵劫記』 には、このような記載がある。
正月に,ネズミのつがいがあらわれ,子を12匹産む。 
そして親と合わせて14匹になる。このネズミは,二月に 
子ネズミがまた子を12匹ずつ産むため,親と合わせて98匹になる。 
この様に,月に一度ずつ,親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産む時, 
12ヶ月でどれくらいになるかというと,276億8257万4402匹となる。

 

ネズミの繁殖の旺盛さについては、古代ギリシャでも同じく捉えられていた。

農作物に害をなすことだけでなく、塩を舐めているだけで交尾をしなくても受胎する!?

などと、紀元前4世紀の哲学者アリストテレスは著書、『動物誌』で記している。

さらにアリストテレスは「ゾウはネズミが天敵」と続ける(ネズミはゾウの長い鼻に潜り込んで窒息死させると言われていた)。

実際、これは単なる迷信などではなく、ネズミは自分より体の大きなものであっても襲うことがあるためである。


当時から現代の後進国まで、人間の乳児や、飢饉や病気などで動けなくなり弱った人間が、ネズミにかじられて指を失った事例などは世界中にある。

またネズミは餌場と住処こそ異なるものの、紙切れや布切れがあれば、それを齧り、簡単に巣作りができる。


前述した仏教の経典を守るために猫が導入された事を、思い出して欲しい。
布を齧るだけでなく、おそらく蝋燭のように動物の脂で作られたものや家の柱を齧り、火災や家屋の倒壊も、引き起こしたはずである。
火災が起きれば当然、経典や美術作品も灰燼に帰す。

京都の檀王法林寺、盗難火災から守ってくれる主夜神という神の使いが黒猫というのは、闇夜に紛れてネズミを狩る猫を寝ずの番をしていた宗教者が目撃していた可能性がある。

 

また、昔話でお馴染みのかぐや姫には、火鼠の衣という燃えない布のアイテムが記されており、現代でそれは石綿アスベストと解釈される。

が、そのイメージの元になるのはやはり古代人が、脂や蝋に齧り付くネズミを観察していたからであろう。でなければ、わざわざ皮の面積の小さな火鼠ではなく火兎でも良いはずなのだ。

 

さらに最悪なことに、ネズミの被害は、穀物や指、経典齧り、火災、家屋の倒壊など「目に見えるもの」だけではない。

最大の問題は、その不潔さである。

ネズミは穀類などをエサとして大量に食べ、かつフンとして大量に排泄し、自然界では土壌を肥沃にする役割を果たしているが、、、

特に人間と生活環境の近いドブネズミは、平行移動を得意とし、トイレやゴミ捨て場から、水瓶や食卓まで病原菌を運び出してくる。


古代では、ネズミがいることで、人間は原因不明の体調不良=凶=悪魔憑き=不運が発生するのである。

古代ギリシャ医学では、これらはまとめて「瘴気」と呼ばれ、腐ってゆく物質から発生するという目に見えない「悪い空気」であり、呼吸や接触により体内に取り込んでしまうと病気になるとされた。


しかし、現代で私たちは顕微鏡を持っており、

「動物由来感染症ハンドブック2010」

という、厚生労働省健康局結核感染症課のデータがある。


これを参考に、かつての悪霊や瘴気を分析すると、ネズミからは、おおむね細菌、真菌、原虫、寄生虫という4種の病気の類型が浮かび上がる。


それぞれリストアップすると、このようになる。(数が多いので読み流してくれて構わない)


細菌由来:

- ペスト
- ハンタウィルス肺症候群
- リンパ球性脈絡髄膜炎
- 腎症候性出血熱
- 鼠咬症
- E型肝炎
- Q熱
- カンピロバクター
- ブドウ球菌感染症
- アルコバクター
- 連鎖球菌感染症
- 黄疸出血性レプトスピラ症(ワイル病)
- サルモネラ症(食中毒)
- パスツレラ症
- エルシニア症
- リステリア症
- 野兎病
- リケッチア症(ツツガムシ病)


真菌由来:

- 類丹毒
- 皮膚糸状菌
- クリプトスポリジウム


原虫由来:

- 広東住血線虫症
- 日本住血吸虫病


寄生虫由来:

- 縮小条虫症
- 小型線虫症
- 肝吸虫


実に驚くべきバリエーションである。
ネズミはまさに病気のデパート、バーゲンセールだ。

1590年、オランダのヤンセン父子の発明した顕微鏡は、まさに癒しのウジャト=神の目なのである。


一つ一つを解説していくと、とてもではないが紙幅が尽きるため、ネズミの病気に関して、大まかに目立ったものを解説する。


食中毒は、主にサルモネラによる食中毒とされる。サルモネラ菌とは、腸チフスやパラチフスなどの細菌の総称のことだ。

サルモネラ菌が付着した食品を食べることで、細菌が腸管に入り、引き起こされる中毒症状で症状としては食事から6~24時間後に、腹痛、発熱、悪心、嘔吐、下痢などの急性胃腸炎が発症する。


サルモネラ菌は下水や汚水で繁殖するため、ここをなわばりとするネズミが保菌してしまうことがある。

菌を持ったネズミが食べ物を食べたりし、それを人が食べるという感染経路が考えられ、しかも食品は汚染されても人間の目には変化がない。

見えない以上、これは古代において、呪術的、霊的な穢れである。


黄疸出血性レプトスピラ症は、ワイル病とも呼ばれ、ネズミの尿中のらせん菌の一種であるレプトスピラが増殖した小川や下水に人間が入ると、皮膚や粘膜から感染する。

感染すると、1~2週間の潜伏期間を経て、高熱、黄疸、筋肉痛を起こし、重症の場合は意識不明に陥ることもある。


日本住血吸虫病は、同名の寄生虫を食事などによって体内に取り込むことでかかる病気だ。かつての日本、山梨県甲府盆地では不治の病と言われ、肝臓・脾臓の腫大、腸カタル、腹カタル、発育障害、貧血などを引き起こしていたことが知れている。

この小さな虫は河川などの水辺で生育し、卵をネズミが食べてもそのまま排出される。が、その卵が人の口の中に入れば発病する。

本来、この寄生虫はミヤイリガイに寄生し、その中で成虫となるものなのだが、ドブネズミがこれを保虫し、人の住まいまで運ぶのである。

感染すると長いこと苦しみ、壮絶な最期を遂げるため、日本住血吸虫の生息域に嫁ぐ女性の嘆く歌が、地域に残されているほどだ。


さらに、ネズミはこの他にも、トキソプラズマ原虫、小形条虫、多包条虫、広東性血線虫、旋毛虫といったさまざまな寄生虫の宿主になることもある。


しかし、ネズミで最も有名な病原菌は、ペストであろう。

ペストは、ペスト菌による感染症であり、症状は、発熱、脱力感、頭痛などがある。感染して1-7日後に発症し、感染者の皮膚が内出血して紫黒色になるため、黒死病と呼ばれた。

人獣共通感染症かつ動物由来感染症であり、ネズミなど齧歯類を宿主とし、主にノミによって伝播されるほか、野生動物やペットからの直接感染や、ヒト―ヒト間での飛沫感染の場合もある。致命率は非常に高く、治療した場合の死亡率は約10%だが、治療が行われなかった場合には60%から90%に達する、、、


また、英語でplagueは伝染病全般を意味するが、これはペストも意味する。

つまり、ペストは伝染病を代表するものと言える。これを換言すれば、ネズミもまた、病気全般そのものであると言えるであろう。

 


世界の歴史において古来、ペストは複数回の世界的大流行が記録されている。

6世紀にビザンチン帝国(東ローマ帝国)で大流行した「ユスティニアヌスの疫病 」ではのべ2500万人の命が失われ、

14世紀に起きた大流行では、当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと、Historical Estimates of World Population アメリ国勢調査局の推計は語る。

正式な住民登録制度はおろか正式な記録文書もないため信憑性は不明だが、古代において、これらの病が、いかに生活と隣り合わせであったかを伺い知れる知見だ。


また、特に女性の場合は出産による感染どで、命を落とすことも多かっただろう。

そもそも、女性は出産後、授乳を行うために腸管の抗体産生細胞が、血液を通り乳腺に移動するため、免疫力が一時的に低下することがわかっている。
東北大学農学研究科 食と農免疫国際教育研究センターの野地智法教授)


当然、ペストやその他の病理にも罹患しやすかったはずだ。

 

なにせ、イグナーツ・センメルヴェイスが、産褥熱予防法として、手洗いと着替えを励行するはるか昔のことである。

近代のコッホや、パスツールも生まれていない。
見えないものと戦う時代の方が、人類は圧倒的に長かった。

 


ミッキーマウスや、ピカチュウ、トッポジージョ、ディーマウスは、近代の衛生的環境のみで通じる比較的新しい概念であり、ハーメルンの笛吹男のイメージが、本来のネズミ像なのである。

 

しかしそんな邪悪なネズミでも、たった一匹、猫がいれば、その場所を忌避する。猫じゃらしを、見れば分かる通りに猫は生粋のハンターで、自分が食べる量以上に、獲物を「遊び」で狩るからだ。


現代でも、アメリカ、ワシントンの野良猫をネズミ駆除に活用するプロジェクト「ブルーカラーキャッツ」が話題になるくらいである。


この小さな捕食者たちが、いかに古代でありがたがられたかは、想像に難くない。


そもそも猫の名前の由来を調べてみると、
『日本釋名』では、ネズミを好むの意でネコの名となったとされ、『本草和名』では、古名を「禰古末(ネコマ)」とすることから、「鼠子(ねこ=ネズミ)待ち」の略であるとも推定される。


つまり、吉性猫型伝承による幸運のパターンは、ネズミによる被害から、3つに分類が可能である。

すなわち、


豊穣=人間のカロリー摂取量の増加、

神聖=病源の減少、消毒、

幸運=火災や建造物、人間の傷害の減少

 


の3点である。

これらのイメージが、混同されることで、見える利益と見えない利益、双方が結びつく事で、猫の持つ縁起物としてのイメージは形成された。

逆説的に言えば、衛生害獣の存在が、幸運を生んだのである。

吉性鳥型伝承、はやぶさ=ホルスの例も同じく、スズメなどから、穀物を守り、そして、遠方から病原体を運んでくる渡鳥、例として鳥インフルエンザなどを防ぐため、重宝されたのだろう。
(戦争のイメージは伝書の担い手という実質的なものかもしれない、現代でもチャットツールのTwitterロゴは鳥である)

吉性蛇型伝承も上に同じくだ。

 


つまり口承文芸について現代に翻訳を試みる際、留意しなければならないことは、
人間にとって「幸運」「神聖」とは、

儀式的、呪術的なあやふやなものではなく、自分と仲間たちの「無病息災」のことなのである。


ちなみに、ミネソタ大学脳卒中研究所のアドナン・クレシ教授は、猫を飼っている人は心筋梗塞などでなくなる確率が40%低いという論文を発表している。


これはまさに「幸運」そのものであろう。

 

 ◆◇◆

4.


さて、吉性猫型伝承についての理解が進んだところで、今度は凶性猫型伝承について、確認していこう。


もうお分かりいただけると思うが、吉という豊穣、神聖、幸運の概念が、カロリー摂取量の増加、消毒、人間や建物の傷害の減少であるならば、凶は、その逆。


つまり、招病、カロリー摂取減少と、建物、所有物の汚損である。

ん?
猫は、それらの原因となる衛生害獣を追い払うのでは?

そう思う読者もいると思うが、落ち着いてまずは、凶性猫型伝承を確認していこう。

どうにも、これらは幸運とは事情が異なるようなのだ。

 

ネコに関する不吉なシンボルで、なんと言っても、一番有名なのは魔女狩りのイメージだろう。

ローマ教皇インノケンティウス8世は1484年12月5日の有名な回勅「スンミス・デジデランテス」 (Summis desiderantes affectibus) で、ドイツにおける魔術師と魔女の存在を激しく糾弾して、ネズミを狩るネコを魂を狩る悪魔と同一視した。


そのため、おおむねルネサンスの時代、猫はしばしば魔女の使い魔と考えられ、祭りの間に生きたまま焼かれたり(猫焼き)、高い建物から投げ捨てられたりすることがあったという。

(ちなみにイノケンティウス8世は、汚職と女性関係の醜聞方面でも有名である)


アイルランドには、月夜に黒猫が横切ぎると、横切られた者が流行病で死ぬという迷信がある。


16世紀のイタリアでは、黒猫が病人のベッドに寝そべると、その病人に死が訪れると信じられていた。

 

また、これは中世だけでなく古代でも同じである。

例えば、仏教ではブッダが亡くなった時、すべての動物は遺体を囲んで泣いたのに、猫と蛇だけは泣かなかった、という伝説が残されている。


他にも中国では、金華猫という金華地方に伝わる猫の妖怪がいる。

これは人に飼われて三年経過した猫が月の光の精気を吸収、金華猫に変化するといわれるもので、山の奥深くなどの地下や穴のようなところに住み着き、夜になると姿を現し、美青年や美少女に化けて異性をたぶらかすという。

また、この伝説が残る金華地方では茶トラ猫がこの金華猫に変化しやすいと信じられており、この地方では皆金華猫は絶対に飼わないといわれていたようだ。


中国だけでなく中東でも、化け猫のイメージは悪様に語られる。


イラン発祥の宗教であるゾロアスター教でも、ネコは不浄の生き物として扱われていた。


インド、ヒンドゥー神話においても、猫は化け物となる。

その名もヴェータラといい、非常に大きな、赤毛の猫の妖怪で、餓鬼の一種であり、墓場に住み着くシヴァの眷属ともいわれる。

夕暮れ時にはシヴァとともに破壊のダンス(ターンダヴァ)を踊り、死体にいたずらをする。

そのため、死体がくしゃみやあくび、時には笑いだすようなことがあったら、それはヴェータラーの仕業だといわれる。

そして、この姿を見たものは9ケ月以内に死ぬともいわれている。

同じくヒンドゥー教には、ライオンの頭を持つナラシンハも挙げられるだろう。

これは人でも獣でもない為、不死に近い存在を殺すことができるとされた、ベルセルクである。

 


ゲームの敵キャラクターなどでお馴染みの、マンティコアもまた、化け猫だ。

エチオピアに古くから伝わるこの化け物は、赤い毛皮にコウモリのような翼、サソリのような毒針がたくさんはえた尾、さらに鋭い牙と人面の猫=ライオンの姿をしている。

マンティコアの食欲は際限がなく、その食欲は一国の軍隊を食い尽くすとまでいわれる。

もともとは古来アジア各地に生息するネコ科のベンガルトラの別称だったようだが、人を襲う、猫科のトラの恐ろしいイメージが一人歩きをして、このような異形の妖怪として扱われるようになったという。


また、あの有名なコランド・フランシーやゴエティアの悪魔辞典にも、多くの猫が出てくる。

フラウロスや、バアル、ベレト、サブナックなどは猫(ライオン)の顔を持つ悪魔として非常に有名だ。

 

そして、吉性猫型伝承でも紹介した古代エジプトの女神バステト。
これと対になるような存在でセクメトという女神がいる。

セクメトもまたバステトと同じく、猫=ライオンの頭を持つ神だ。

がしかし、その性質はバステトのそれとは大きく異なる。

先にも述べたが、セクメトは、ラーが自分を崇めない人間に復讐して殺戮させるために地上に送ったという逸話もあるくらい、凶暴な神であり、破壊神にして戦いの女神だ。

伝染病をもたらす神とされ、「火のような息」を吹いて人間を殺してしまうとされ、おおいに恐れられたという。

なかでも紀元前14世紀、アメンホテプ3世は、テーベに建設された自身の巨大な葬祭殿のために、セクメト神の石像を730体も作らせた。

エジプト学者らは、ファラオがこれほど多くの像を作らせたのは、セクメトの恐ろしい性質をなだめるためと、その保護の力を引き出すためだったと考えている。


つまり、この女神を鎮められるセクメトの神官たちは、伝染病を鎮める特殊な医師や呪術師とされたのだ。


また同じくエジプト神話のジャッカルの顔を持つアヌビス神は、冥府の象徴だ。
これは、砂漠に埋葬された死体を掘り起こすからであろう。


以外に思われるかもしれないが、あの顔つき、あの鼻の長さ、にもかかわらず、ジャッカルはネコ科であり、犬の仲間ではない。ネコの一種である。

ジャッカルは西アフリカでは、不道徳など悪いイメージで語られ、中東では、裏切りや愚かさの象徴とされ、狼男のように人間に成りすますハイエナWerehyenaがいるとされる。

タンザニアでは、ジャッカルは魔女の乗り物とされ、ほか墓荒らし、魔女の馬などのイメージで語られる。

インドのヒンドゥー神話でも、ダーキニー(裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女である)の配下として、非常に有名だ。

このジャッカルがシルクロードを抜けて日本に輸入されると、荼枳尼天の白い神の使い「狐」として、解釈される。

つまり、狐憑きと猫の病は、同じネコ科の動物から引き起こされるものであるため、共通点がある。


そして、我が国では昔からネコが50年を経ると尾が分かれ、霊力を身につけて猫又や化け猫になると言われている。

「尾が分かれる」という言い伝えがあるのは、ネコが非常な老齢に達すると背の皮がむけて尾の方へと垂れ下がり、そのように見えることが元になっているのであろうが、話はそれだけでは終わらない。


飛騨国大野郡の丹生川村(現・岐阜県高山市丹生川町)では、ネコが死者をまたぐと「ムネンコ」が乗り移り、死人が踊り出すと言われ、ネコを避けるために死者の枕元に刃物を置く、葬式のときにはネコを人に預ける、蔵に閉じ込める、といった風習があった。

尾張国知多郡(現・愛知県知多郡)の日間賀島に伝わる話では、百年以上も歳経たネコの妖怪を「マドウクシャ」と呼び、死者の骸を盗りにくるため、死人の上に筬(おさ、機織機の部品)を置いてこの怪を防ぐという。これと同じく、火葬場や葬列を襲って屍を奪う妖怪は「火車」と呼ばれるが、その正体はネコであることが多い。

また、生きている人間にネコの霊が憑くという伝承もある。
伊予国(現・愛媛県)での話によると、飼い猫を殺した者が、のち精神に異常を来たし、「猫が取り憑いた」と言いながら徘徊するようになったという。


山口県大島郡では、死んだネコのそばを通ると犬神、蛇神に加えて「猫神」に憑かれると言われ、これを避けるために「猫神うつんな、親子じゃないぞ」と唱える。

 

そう、古今東西を問わず、凶性猫型伝承は、火、狂乱、憑依、そして死の匂いが色濃く染み付いている。

なんとも具体的な症例ではないか。


もうお分かりいただけるだろうが、豊穣、神聖、幸運という、吉型の伝承とやや、凶のシンボルとではベクトルがやや異なるのである。


ならば別のロジックが働いているからと捉えるのが自然であろう。

 

 ◆◇◆


振り返ると、幸運のシンボルは、ネズミに由来するものであり、それは蛇、隼との比較により明らかとなった。

ならば、凶と死のシンボルも比較によってその輪郭が浮かび上がるはずだ。

では、狂乱を引き起こす動物の伝承は、他にないのか?

ネコの他に、私たちの生活に馴染み、昔から愛されてきた動物は、、、

犬である。

 

犬にも、猫と同じく、吉性伝承と凶性伝承がある。


吉性伝承では、紀元前に中東に広まったゾロアスター教で犬は神聖とみなされた。

古代ローマにおいても、ローマ建国の祖である兄弟、ロムレスとレムレスは狼の母により育てられたとされた。

古代中国では境界を守るための生贄など、呪術や儀式にも利用されていた。


知られる限り最古の漢字である甲骨文字には「犬」が「魃」の、(鬼篇がない部分)と表記され、「けものへん(犬部)」を含む「犬」を部首とする漢字の成り立ちでは、献、祓、犮、突、厭、哭、然、伏・・・などの犬牲の儀式を起源とする漢字が多いことからも、しばしばそのことが窺われる。

また日本でも、狼は古くから神聖視され、大神、マカミとされ猪や鹿から作物を守護するものとされ、人語を理解し、 人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、 悪人を罰するものと信仰された。

日本書紀」には日本武尊が神坂峠を超えようとしたときに、悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、一匹の狗(犬)が姿を現し、尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述もある。

 


一方で、凶性犬型伝承では、犬神、狼男、ケルベロス、エジプト神話のアヌビス、北欧神話ベルセルクギリシャ神話のリュカオーン、悪魔のマルコシアスなどが挙げられるだろう。


先ほどの凶性猫型伝承ともオーバーラップするが、古代エジプトでは、犬は死を司る存在アヌビス神と関連付けられ、アヌビスと死者との間を犬が仲介すると信じられた。

そのためアヌビスの神殿に犬はミイラ化されて納められている。

また、メソアメリカでも犬を副葬とし、冥界の案内として冥界の神とも関連付けされたと、東海大学の吉田 晃章氏は、「先スペイン期メソアメリカにおけるイヌの象徴性」にて、指摘している。

 

古代中国でも同じく、死者を冥界へ導くとされ、古代東アジアでも広く冥界の導犬として副葬にされた。


犬は嗅覚、聴覚に優れるため、古来、人間の感じることのできない超自然的な存在によく感応する神秘的な動物ともされた(映画のターミネーターでも、殺人マシンの接近を感知してよく吠える)

そのため、古代世界でも死と結びつけられることが多かった(地獄の番犬「ケルベロス」など)。


ユダヤ教でも犬の地位は軽く扱われており、聖書にも18回登場するが、ここでもブタとともに不浄の動物とされている。

古代ヒンドゥー教イスラム教でも犬を卑しく汚らわしい邪悪な害獣と見なしているため犬肉食をタブー視しているとハロルド・ハーツォグが「ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係」の中で指摘している。


またサウジアラビアでも犬は、一般に嫌悪の対象である。アフリカ、コンゴのムブティ族は、犬を狩りに必要な「貴重な財産」と見なしつつも忌み嫌っており、彼らの犬は馬鹿にされ殴る蹴るなどされるようだ。


こういった犬に対する嫌悪は19世紀後半、近代のイギリスでも確認されており、狂犬病の原因を巡って大きな論争が起きたという。

狂犬病はイヌに噛まれることによる感染症であるという主張が流布し、不潔な下層階級の飼う犬、気性の荒い狩猟犬が特に疑いの目を向けられた。


人々のヒステリックな対応により、何万匹ともいわれるイヌが狂犬病予防の名目で殺されたと、歴史家のハリエット・リトヴォトが記していると、のちの2016年ブライアン・フェイガンが『人類と家畜の世界史』で指摘している。


漫画やアニメで有名なあのベルセルクもまた、犬、狼に関係するシンボルである。

もともとベルセルク=凶戦士は、ウールヴヘジンと同一視され、その名の意味もズバリの「狼人」だ。

前述したように、オオカミは犬と同一視され、

日本アイスランド学会編訳のサガ選集によれば、ウールヴヘンジンは軍神オーディンの神通力をうけた戦士で、盾を噛み、動物のように咆哮などを行う effektnummer と呼ばれる儀式をしたという。

そして危急の際には自分自身が熊や狼といった野獣になりきって忘我状態となり、鬼神の如く戦うが、その後虚脱状態になるという。


この忘我状態のベルセルクは動く物ならたとえ肉親にも襲い掛かったので、戦闘ではベルセルクと他の兵士は出来るだけ離して配備し、王達もベルセルクを護衛にはしなかったという。

(なお一部の学者は、ベルセルクの状態は精神高揚させる毒キノコであるベニテングタケや大量の酒などの薬物によって引き起こされたと指摘しており、1977年のデンマーク、フュアカトにおけるバイキングの墓で向精神作用を持つ植物ヒヨスが発掘され、ベニテングタケの効果より記録された症状に近い毒性からヒヨスを使用したという示唆がなされた。その他の原因として、(先程挙げた盾を噛む儀式を通じた自己誘発性ヒステリー、てんかん精神疾患、または遺伝病が言及されている。)


また、リュカーオーンはギリシャ神話において、狼に変身したと伝えられている人間だ。


2世紀ギリシアの旅行家で地理学者であるパウサニアースは、著書『ギリシア案内記』で

「リュカーオーンが人間の赤子を殺してゼウス・リュカイオスを供犠すると、たちどころに狼に変身した」

と伝えている。

さらにリュカーオーン以降も、ゼウス・リュカイオスを供犠した者は狼に変身し、狼に変身してから10年の間、人を襲わずにいた者は再び人間に戻ることができるが、人肉を食らった者は二度と人間に戻ることができないと記した。

 

そして、犬猫の他にも世界的に、吉と凶、両方のシンボルとなる動物がいる。

それは蛇だ。

例えば、前述したバステトは手にナイフを持ち、邪悪な蛇アポピスを殺している姿で知られる。

また、古代エジプト、インヘルカウの墓壁画には、夜の象徴たる大蛇アポピスが、アトゥム=ラーの象徴たる未去勢の雄猫と、毎晩戦っていると記されている。

この大蛇アポピスは原始の水の中から生まれたとされるが、おそらくは、原始エジプトでは、嵐や洪水のあとに獲物を求めて地中から出てきて、人間噛んだりしたのだろう。

これは、ギリシャの怪物、テュポーンにもつながるイメージだ。嵐=台風=タイフーン(英語)=テュポーンと言えばわかりやすい。

またクレオパトラは、ミミズを神聖な生き物として、扱い国外に持ち出すことを禁止した。

というのもミミズの糞粒は、「窒素」、「リン酸」、「カルシウム」、「カリウム」などが豊富に含まれ、作物を豊かに実らせる上に、団粒構造は、雨や湿度に強く壊れにくい。

ニカワ質(ゼラチンやコラーゲン)に包まれているため、植物は根を張りやすく、土壌改善に役に立つ。


日本において、白ヘビは、豊穣や幸運の象徴とされ、特に岩国のシロヘビは有名だ。また、赤城山赤城大明神もまた大蛇神である。

ヘビの抜け殻(脱皮したあとの殻)を「お金が貯まる」として財布に入れる風習などは、読者も一度は耳にした事があるはずだ。

ギリシャ神話においてもヘビは生命力の象徴である。

杖に1匹のヘビ(クスシヘビ)薬蛇が巻きついたモチーフは「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、欧米では医療・医学を象徴し、世界保健機関のマークにもなっている。また、このモチーフは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍隊等で軍医や衛生兵などの兵科記章に用いられている。

杯に1匹のヘビの巻きついたモチーフは「ヒュギエイアの杯」と呼ばれ薬学の象徴だ。


縄文時代の遺跡からもヘビをかたどった土偶が出土しており、ヘビは、日本では古来より、ネズミを捕食するところから穀物神、それが転じて田の神、ヘビと龍との習合から水神、さらに財宝をつかさどる弁財天の表象・化身ないし神使として神聖視されてきた。

 

 

蛇にも邪悪と神聖両方のイメージがあるのはこのためだろう。
吉性蛇型伝承と、凶性蛇型伝承だ。

 

 

では改めて話を戻し、猫の凶性伝承のそれを犬や、蛇と比較してみよう。

これらに共通するのは、死と狂乱のイメージである。

これはすなわち、狂って死ぬということである。
犬の場合であれば、現代に生きる私たちは、それが何であるかは容易に想像がつく。
先にも触れたようにそれは、狂犬病である。

 

本筋から離れるため軽く触れるだけにとどめるが、狂犬病はラブドウイルス科リッサウイルス属の狂犬病ウイルスを病原体とするウイルス性の人獣共通感染症であり、古代から現代に至るまで、極めて高い致死率を誇る病として知られている。

そして、そのまたの名は、恐水病、恐水症である。


これはその名の通り、強い痛みを感じ水などを恐れるようになる特徴的な症状があるためであるが、実際は水だけに限らず、音や風も水と同様に感覚器に刺激を与えて痙攣などを起こす。

また、日光過敏や、発熱、不安感、興奮、精神錯乱なども生じ、その後、脳神経や全身の筋肉が麻痺を起こし、昏睡期に至り、呼吸障害によって死亡する。

 

感染したが最後、9割9部で死に至る病であり、現代ではほぼ根絶に成功している日本においてですら、ペストと同じく、とても人口に膾炙した病名だ。

(ちなみに狂犬病という名前に誤魔化されがちであるが、これはすべての哺乳類に感染しうる)

 

狂犬病の正確な起源は不明であるが、古代メソポタミアの「エシュヌンナ法典」

には「犬が市民を咬み、咬まれた市民が狂犬病になり死亡したときにはその犬の飼い主は40シェケルの銀を支払い、奴隷を咬んで奴隷が死んだときは15シェケルの銀を支払うべし。」との記載がある。

 

古代ギリシャアリストテレス狂犬病に罹患した犬に噛まれると他の動物も狂犬病にかかると記している。

また、古代ローマのアウルス・コルネリウス・ケルススは罹患した動物の唾液を介してこの病気が広まることを既に理解していた。

 

これらのイメージは、犬の死と狂乱のイメージとピタリと符号する。

このことから、凶性伝承を持つ猫もまた同じく、保有する病原菌に死と狂乱を司るものが存在すると考えられる。


(前述したようにエジプト神話のセクメトは伝染病などを司り、人間を殺してしまう火病の風を吐くという)

では猫の保有する病原菌で、


火、狂乱、憑依、死を招くものは何か?


 ◆◇◆

 

現代においてもっともポピュラーな猫由来の病気としては、その名もズバリの猫ひっかき病(CSD)が挙げられるだろう。


1993年に発見されたこの比較的新しい病は、バルトネラ・ヘンセラ菌を原因とした、リンパ節の炎症を伴う感染症であり、人獣共通感染症の一つである。


この病原菌は、猫に対しては全く病原性はない。が、長い間、保菌状態になっており、18ヶ月以上も感染が続くこともある。


猫から猫への菌の伝播にはネコノミが関与しており、猫の血を吸って感染したネコノミは、体内で菌を増殖させ糞便として排泄するが、それが猫の歯あるいは爪に付着する。


そしてその猫に咬まれたり引っかかれたりすることによって人間の傷に感染すると考えられる。

 

人間への感染後は、猫引っ掻き病では、受傷部が数日から4週間程度の潜伏期間後に虫刺されの様に赤く腫れる。

典型的には、手の傷であれば腋窩リンパ節が、足の傷なら鼠径リンパ節が腫脹する。しかしながら、顔に傷がなくとも、頚部リンパ節の腫脹がみられることも珍しくない。

腫脹したリンパ節は多くの場合痛みを伴い、体表に近いリンパ節腫張では皮膚の発赤や熱感、痛み、を伴うこともある。そして、ほとんどの人で37℃程度の発熱が長く続く。

これは、火のような息を吐くというセクメトの逸話と一致する。


これらに加えて嘔気、倦怠感、関節痛なども、おまけで付いてくる。

 

さらに寝不足、遺伝、別の病気などで免疫が弱るなどしていると重症化し、5~10%で、肝臓や脾臓の多発性結節性病変、肺炎、脳炎、心内膜炎、肉芽腫、急性脳症などのリンパ節外病変が発生する。

悪魔憑きの項目でも触れたが、抗NMDA受容体抗体脳炎を併発すれば、暴れ回る、呂律が回らなくなるなど、悪魔憑きの症例と合致する症状が現れる。


こちらは自分自身に対する免疫のエラーが原因だとされており、出現した抗体(異物に対する武器)によって脳がダメージを受け、そのダメージを受けた部位により行動が変わる。

高齢者では、重症化して麻痺や脊髄障害に至るものもある。

 

そして、この病態の際立った特徴として、女性に特有の卵巣奇形腫(卵巣にできる腫れ物)を合併するケースがある。卵巣奇形腫を患う女性のなかには、抗NMDA受容体抗体脳炎の元となる抗体を産生しやすい方がいるようだ。


そもそも、女性は出産後、授乳を行うために腸管の抗体産生細胞が、血液を通り乳腺に移動するため、免疫力が一時的に低下することがわかっている。
東北大学農学研究科 食と農免疫国際教育研究センターの野地智法教授)

 

これは、先の記事の悪魔憑きについて、でも述べたことであるが、

「狐が憑いた者」や、柳田国男が分類した巫女の一種「神姥」において、普段何の兆候も見られない女性が、産前産後や身体の調子を崩したことをきっかけとして、何物かに「憑依」され、前述のような経緯を経て、周囲から霊力のある巫女として承認される。

この事例などは、出産後の母体免疫力低下による、トキソプラズマ症の発症や、抗NMDA受容体抗体脳炎と解釈可能だろう。


前述したように狐憑き、稲荷=キツネの総元締めは、ヒンドゥー教におけるダキニ天であり、本場インドではジャッカルを連れている。

そして、ジャッカルはネコ科の動物だ。


シルクロードを通って日本に輸入された神だが、当然日本にジャッカルはいないため狐とされ、白い神の使いは、狐火を操り、狂気のイメージを持つようになった。

つまり、白い狐は猫科動物であり、そのイメージは猫引っ掻き病と重なる。

バルトネラ菌が、炎の化け猫のイメージを作り出す。

そしてそれは、日本の妖怪である火車


現代のキャラクター、

妖怪ウォッチのジバニャン、ポケモンニャビーモンスターハンターのマガイマガトに至るまで、猫=火を吹くものというイメージの根拠となる。

 

 

また、アイルランドケットシーは人間の言葉を話すとされるが、これは猫自身が人間の言葉を話したというよりも、「人間が、猫の言葉を聞いてしまった」とみた方が自然だろう。


ちなみに猫ひっかき病は特に治療を行わなくても、自然に治癒することも多いが、治癒するまでに数週間、場合によっては数ヶ月もかかることがある。 


回復するまでに患者が、やや誇張した体験を語るには充分すぎる時間があるのだ。


そしてさらに、バルトネラ菌の分布は、日本では西日本に多い。先に挙げた岐阜、愛知、愛媛、山口の伝承は、全て西日本と言える。

猫は世界的に分布しているため厳密には言えないが、おそらく、ブラキストン線のような、なんらかの生物学的境界が存在している可能性がある。
温度や湿度などといった理由で別の細菌が生活サイクルの中に組み込まれており、バルトネラ菌の活動が抑制されるなども要因として考えられるだろう。


バルトネラ菌は、日本全体では猫の9~15%が保有しているとされるが、喧嘩したり他の猫と接触の多い雄や野良猫に多い傾向がある。

1994年に発表それた浅野隆司の論文、「ネコひっかき病」 検査と技術, 22巻 4号, によると、

特に生後6か月以内の仔ネコからの感染率が高い。

また1~3歳の若い猫の保菌率が高いという報告もある。

これは、前述した中国の化け猫、仙狸、金華猫の

「人に飼われて三年経過した猫が月の光の精気を吸収、金華猫に変化するといわれるもので、山の奥深くなどの地下や穴のようなところに住み着き、夜になると姿を現し、美青年や美少女に化けて異性をたぶらかすという」

伝承とおおむね一致する。

 

また、
村野一郎ほか (2001). “犬との接触により生じたBartonella henselae感染症の2例”. 感染症学雑誌 75 

などによると、イヌからの感染例の報告もある。


これは、年老いた猫の猫又と矛盾するため考察が必要だが、あくまで現代の話であり、近代以前は、感染の条件が違う可能性がある。

猫は老いるとあまり、ジャンプしなくなり、寝る事が多くなる。爪研ぎもしなくなる。

こういった老いた外飼いの猫の行動習性や、免疫力低下による発病などが考えられるだろう。

 

その他、頻度は少ないが、感染猫の血液を吸ったネコノミが人間を刺した事による感染例が報告されている。


そう、猫に触れていなくても感染するのだ。
現代より衛生環境の悪い古代では、猫が何らかの形で関係していることはわかっても、すぐに発症せず、ましてや、同じ傷のある人でも、傷がない人でも体調不良になる者とならない者が現れる。

見えないこと。不思議で原因を特定出来ないのが、怪奇現象であり、同時に神の領域なのだ。


宗教学的に解釈すれば、顕微鏡の発明により、私たちは神の目、ホルスや、ウジャトの目を手に入れたのである。

顕微鏡により、凶性猫由来伝承で、火の要素は理解できた。


では、狂乱、憑依、死のイメージはどこからきたのか。

そう、化け猫は複合疾患であり、猫引っ掻き病だけではない。


変身と狂乱、死をもたらす病として、トキソプラズマ症がある。

これは、個人の人格を変える、変えてしまう、まさに「憑依」である。

 

 ◆◇◆


トキソプラズマ症は、トキソプラズマ・ゴンデイィという原虫に感染することで発病する疾患である。


健康な成人の場合、感染しても無徴候に留まるか、せいぜい数週間のあいだ軽い風邪のような症状が出る程度の病だ。

 

初感染でも、およそ8割の場合は発熱もなくリンパ節が腫れる程度であり、ほとんど気付かれない。

残り2割程度で、リンパ節の腫れや発熱・筋肉痛・疲労感が続く亜急性症状が出て、そのあと緩やかに(1ヶ月程度で)回復する。

 

罹患しても通常なら安全、というわけで、トキソプラズマ症は、長らく医学会では問題視されては来なかった。


、、、しかし、近年になり先端医療の分野から、トキソプラズマの慢性感染によりヒトの行動や人格にも変化が出るとの研究報告が上がり始めた。

 

タイムス・オンラインにで2003年に発表された論文、Dangerrrr: cats could alter your personalityによると、

男性は反社会的に女性は社交的になる、男性はリスクを恐れなくなる・集中力が散漫となる・規則を破る・独断的・反社会的・猜疑的・嫉妬深い・女性に好ましくない、女性は社交的・ふしだら・男性に媚びをうる、などの傾向が見られるという。

シカゴ大学のエミル・コッカロは、トキソプラズマ症に感染した人間は、間欠性爆発性障害(急に怒りだす病気)の有病率が高いことを指摘している。

 

コロラド大学のステファニー・ジョンソンの研究によると、大学生においても経営や起業などビジネス系を専攻する傾向が見られ、社会人でも起業経験者は感染率が高いという。


チェコのカレル大学、ヤロスラフ・フレグルの研究によると、感染者は、そうでないものと比較して22.6%も交通事故率が増加するようだ。


キャスリン・マコーリフは著書、『心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで』において、てんかんアルツハイマー病、パーキンソン病統合失調症双極性障害、パーソナリティ障害など多くの精神疾患や人格の変化、がんとの間に関連があることを指摘している。

 

これらを総合的に考えると、トキソプラズマ症に感染した場合、

男性は、恐怖心が薄れて好奇心強く攻撃性が高くなり、女性もまた恐怖心が失われて性的に奔放になるのである。

 


ではなぜ恐怖心が無くなるのかというと、
2007年4月に発行されたStudy Finds National Geographic Newsの記事
Parasite "Brainwashes" Rats Into Craving Cat Urine,
では、脳内のドーパミン量が多くなっていることとの関係が示唆されている。


これはどうやら、トキソプラズマの生殖方法に起因するのではないかと、言われている。


トキソプラズマはさまざまな動物の中に寄生しているが、基本的にネコの腸内でしか有性生殖を行うことができない。

例えばネズミに寄生してしまったトキソプラズマはそのネズミがネコを怖がって避けるようだと、いつまでも有性生殖ができないわけだ。


そこで、ネズミの脳に寄生して、恐怖心を無くすとネズミが自ずからネコのところに行くようになる。


ネコからすれば、カモがネギを背負って来るようなものだ。そのネズミを簡単に捕らえて食べてしまうと、トキソプラズマも無事にネコに入ることができ有性生殖できるようになる。


これは古代の人間も同じであることが予測される。

例えば寄生された人間が、ライオンやジャッカルなどサバンナの肉食動物に近づくとどうなるか。

当然襲われて死亡し、宿主であるトキソプラズマは、真っ赤な口紅をつけたライオンやジャッカルの腹の中で増えることとができるのだ。


アヌビスやセクメトが、死を司るのも頷ける話である。


これらの研究を鑑みると、ハローキティや、フェリックスザキャットなど、猫を愛する気持ちもまた、寄生虫由来なのではないかという推測がここで立てられる。


例えば、ハローキティなどは、平成時代、ぬいぐるみの中に死体を入れて遺棄した事件などが起こったことがある。


しかしその後も、人気の陰りが見えないままだった。

メディア統制などさまざまな要因が考えられるが、これは、この原虫によるものと考えることも出来るかもしれない。

 

思い起こして欲しい。

前述した天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、江戸北町奉行の曲淵景漸がイヌやネコの肉が低価格で流通していることから「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言したと伝わって町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となった。


紀元前1世紀の古代ギリシャ歴史家であるシケリアのディオドロスは、「歴史叢書」の中で、猫を殺すことを禁じていると記し、紀元前60年から56年の間に猫を殺したローマ人がリンチされていた、
と述べた。


こういった「狂乱」も、寄生された人間の攻撃性が、発露した結果のように思われる。

ネコ憑き、狐憑き、悪魔憑きと言えば、洋の東西を問わず、汚言と狂乱なのだ。

 

ちなみに、トキソプラズマは猫だけでなくネズミにも感染する。
感染したネズミや犬が、人間のご飯を食べたら?
水瓶の水を飲んだらどうなるか?


人里離れた場所に住んでいたり、常に水の綺麗な場所にいて未感染だった温厚な人が、突如病気にかかり、脳炎で暴れて、汚い言葉を吐き、目つきも変わる。


そして回復した後には、攻撃的の性質に変われば、それはまさに猫に取り憑かれたと言われるようになるだろう。

腹の虫が悪い(機嫌が悪い)などという言葉が昔から日本にはあるが、まさに憑き物は、虫なのだ。


トキソプラズマ症において、狂乱と憑依とは、文字通り一体なのである。


そしてさらに驚くべきことに、このトキソプラズマ症は危篤化することもある。


前述したとおり、免疫が通常時であれば問題はないのだが、臓器移植後やエイズ、寝不足、熱中症など、さまざまな理由で免疫が抑制状態にある場合には、急性症状を示すことがある。


急性症状を起こした患者は、眼(脈絡網膜炎)に異変が起きたり、脳炎や神経系疾患を発症したり、肺・心臓・肝臓などに悪影響をおよぼす。


血液中に原虫が認められる虫血症(parasitemia)も長引き、尿や唾液のような体液にも原虫が出現する。


こうなると、患者はそのまま死に至ることすらある。

その上、このトキソプラズマ症は予防するためのワクチンがない。

 

そのため、感染しないように回避行動が大事なのであるが、これを徹底するのは難しい。


というのも主な予防行動は、未加熱消毒の肉を食べたないようにしたり、土いじりをしないことだからである。

自然界でネズミは、フンをして土壌の栄養化に貢献すると前述した。

猫も同じく、庭や畑や公園の砂場でトキソプラズマを含んだ糞をする。

読者諸兄は子供の頃、砂遊びした後、親や祖父母から手洗いを叱咤された経験はないだろうか?


ネコの糞が含まれた土からの感染を防ぐためには、作業中は手袋や眼鏡やマスクを装着すること、

作業後は十分な手洗いをすること、 

そして収穫したものはよく洗浄してから食べること、


ネコのトイレ掃除を妊婦にさせないこと(妊婦が初感染すると胎児が先天性トキソプラズマ症を発症する場合がある)

(先天性感染症では網脈絡膜炎,痙攣発作,および知的障害が起こる)


猫のトイレ掃除は頻繁に行うこと(1日2回)、

猫の糞は密閉して捨てること、


といった工夫が必要である。

 


とはいえ、古代で、このような防疫が徹底されていたとは考えられない。

むしろ感染していない人間はいなかったのではないか?

そう思われるレベルの感染症である。


長い人類史の中で、現代ほど、反戦や平和、自由、「個人」の命の価値が重視され、人間の攻撃性が減少してきたのは、啓蒙思想の普及ではなく、衛生環境の改善が大きいためではないかと、勘ぐってしまう。


エジプト神話にて、セクメト神が私たちを絶滅させるために、人界に送り込まれた邪悪なる刺客という立ち位置であるのも、じつに頷ける話だ。


またトキソプラズマは、その成長において、いくつかの異なる形態を取るため、その形態ごとに対策が必要というのも猫の不思議なイメージに一役買っていることであろう。

 

はじめにトキソプラズマの成長過程で一番最初のタイプーー栄養型は急増虫体(タキゾイト)と呼ばれている。

そしてこれは細胞内に寄生して無性生殖により急激に増殖する。


消毒液や胃酸などに対する抵抗性を持たないため、タキゾイドを摂食しても感染は起きにくい。しかし眼や鼻の粘膜や外傷から感染することがある。


このタキゾイドが成長すると、脳や筋肉の組織中に厚く丈夫な壁に包まれた球形のシストを作る。

シストには数千におよぶ緩増虫体(ブラディゾイト)が含まれており、無性生殖によりゆっくりと増殖している。


このシストは室温でも数日、4 ℃なら数ヶ月生きることが可能であり、-12 ℃までの低温にも耐える。


しかし、加熱処理(56 ℃15分)や冷凍処理(-20 ℃24時間)で不活化できる。


そしてこのシストが、終宿主であるネコ科の動物に感染すると、有性生殖を行ってオーシストが形成される。


オーシストは糞便中に排出され、環境中で数日間かけて成熟し、数ヶ月以上生存する。

これは、消毒液に対する抵抗性が高いが、シスト同様の加熱処理で不活化できる。

このオーシストを摂取する事で、人はトキソプラズマに感染することとなる。


加熱、あるいは冷凍、そして土いじりしないことなど、このトキソプラズマの生態の輪は、人的、カロリー的リソースの少ない古代においては、対策することがほぼ不可能なのである。

ゆえに、世界各地で猫は不思議なイメージを確立させたのではないかと思われる。

 


猫娘はいるのに、猫男はいないこと、逆に狼男はいるのに、狼女はいないことなどは、単に文化的や性による差異ではなく、男女の免疫機能の差や、

当時の男女の仕事の分化、感染者の生活習慣によっても説明が可能であるだろう。

ちなみに、トキソプラズマはおそらく、ほぼ全ての哺乳類・鳥類が感染する可能性がある。

したがって食肉は種類によらず感染源になりうる。


とくに羊肉・豚肉・鹿肉など、高頻度にシストが見付かるものもあるため、日本では家畜伝染病予防法において届出伝染病に指定されている(対象はめん羊、山羊、豚、いのしし)。


ユダヤ教イスラム教などでは、ハラールで、四つ足の動物を食べることを忌避するが、これはアルファガル症候群だけでなく、トキソプラズマ症も関係しているかもしれない。

 

しかしながらトキソプラズマ症による熱、死、狂乱や、猫引っ掻き病だけで、化け猫の全体像を捉えられるほど、この凶性猫型伝承は単純ではない。

 

他にも、ネコ憑きと思われる古代人の生活サイクルに組み込まれた病気をいくつか簡単に解説しよう。

 


パスツレラ症は、パスツレラ属(Pasteurella)菌を原因菌とする日和見感染症で、トキソプラズマと同じく人獣共通感染症である。


イエネコの口腔には、約95%、爪には70%、イヌの口腔には、約75%の確率でパスツレラ属菌が常在菌として存在すると、人と動物の共通感染症研究会の荒島康友は指摘している。


感染しても犬、猫では一般に無症状で、
ヒトの場合も、一般に無症状か軽症であり、咬傷箇所の発赤・腫脹・化膿(蜂巣炎)、気管支炎・肺炎などの呼吸器疾患、まれに髄膜炎、食中毒症状を起こす。

ただし、糖尿病、アルコール性肝障害の罹患者は重症化しやすい。ウシも出血性敗血症を引き起こす。


咬傷、掻傷などにより感染すると約30分から数時間後に激痛を伴う腫脹と精液の様な臭いのする浸出液が傷口から排液される。

そして重症化すると、発熱、下痢、呼吸困難、肉垂や肉冠にチアノーゼを引き起こす。

急性型では死亡数時間前にしか症状を示さないことがあり、さらに発症2~3日で死亡することが多く、急性敗血症を耐過した場合、慢性型に移行するか回復する。


パスツレラもトキソプラズマと同じく、非常に身近な存在であることが、概要だけでも分かるだろう。


他には、ピロプラズマ病も人畜共通の感染症だ。

ピロプラズマ病は住血胞子虫類の原虫、バベシア科とタイレリア科の寄生によって起こる伝染病であり、ウシ、ウマ、イヌ、ネコ、ヒツジ、ヤギ、ブタ、ラクダ、トナカイなどが宿主となる。


症状としては、これらの原虫が赤血球内に寄生する結果、発熱、貧血、黄疸、を起こし、バベシア病では血色素尿も見られる。

環境環にはマダニも含まれており、タイレリアはマダニの卵により感染しないバベシアだとする。

重症となると心機能、呼吸器、胃腸障害などの全身症状が顕著となり、こちらも産後に発症する確率が高い。

 

これらの病理は、顕微鏡のない時代、症状のパターンによって分類されたのだろう。

よって、すでに見てきたように、似た症状を現す病理は一つに束ねられ、文化として受容されていった。


つまり、化け猫やその他の名のあるモンスターについて論じる際、私たちは、
単一の症例ではなく、複数人による症例の混同、時系列の変化、そしてその政治的な要素、さらに誤訳、勘違いなど、ホリスティックな視座を持たなければならないのである。

 

 ◆◇◆


繰り返すが、シンボルとは、生活のパラレルな事象を束ねたものである。


化け猫や、狂乱、熱、死のイメージは、
複数の症例が、時代を経るごとに習合していった結果だ。

このイメージの習合という現象こそが、キャラクターという「神や悪魔」を生み出す。

ネコの場合であれば、それはセクメトやケットシー、猫又、ヴェータラ、キャスパリーグ、仙狸、金華猫となるのだろう。

 


これは悪魔憑きの論考でも述べたが、

宗教や悪魔、神について論じるにあたり「聖と俗」「吉と凶」「ハレとケ」は、分類法として不適切である。


これまで見てきたネコの伝承の二面性がそうであるように、

神や悪魔は、その発生のプロセスからの観点から見ると、「病理と政治」の二元論に分類するべきなのだ。


すなわち、聖なるものと邪なるものは、本質的に病気と治療という意味合いにおいて一体であり、

神聖=健康
邪悪=病気


邪なるもの(病気)を追い払うためのルール=聖

邪なるものが人を人を操る道具として聖なるものと扱われる=政治


という行為を、収集し、図像化、シンボル化することで、集団や種の存続を有利に進めるためのフィクションとして機能してきたのである。

神や悪魔は、whoのiCD10やメルクマニュアルと同じなのである。

 

神や悪魔やモンスターや妖怪が、多様性を持ちながらもどこか共通するのは、その点に由来する。


宗教学者は、教条主義以前、信仰が政治にすり替わる前は、言うなれば地域の開業医師だった。

しかし、共同体が、集落から村へ、村から町へ、町から国へと発展していく過程に引きずられる形で、こうした防疫の知識が集合されていったのであろう。


これは、我が国における本地垂迹思想と似通っている。
本地垂迹説は異国の神々を、日本の神の中に包摂する概念のため、国や海を跨いでいる)

 


つまり、同じ現象が、比較妖怪学のように地域によって姿と名前を変えるのであれば、


伝承学は生物学的に、界門綱目科属種という系統樹として分類するのではなく、


まず基礎となる病理が存在して、地域ごとに名前を変えることを念頭において、並列的帰納的に記す必要があるだろう。

 

 

 

 

龍がワームとなり、
ユニコーン麒麟となり、
鳳凰はフェニックスやサンダーバードになる。
ジャックの豆(ビーン)の木は竹(バンブー)となる、
バロメッツはバフォメットになり、ムハンマドとなる。


神や悪魔は、ポータブルではない存在なのだが、文明のグローバル化により、持ち運びされたのだ。

この世界はまさに万華鏡である。

 

さて本論において、私たちは猫、犬、はやぶさ、蛇と伝承を追ってきた。

いよいよ最後に、これらの伝承を翻って考えると、妖怪や悪魔、神というシンボルは、以下のような構成要素により成り立っていることが、伺い知れる。

 


すなわち悪魔のレシピは、


ーーーーーーーーーーーーーー

1.
特定の病理の認知


2.
その病理の症状により発生する行動、そのパターンの抽出、

 

3.
上のルール、パターンを物語化する、


4.
物語を軸に図像化、シンボルにする、


5.
集団の支配領域拡大に伴い、上記の病理と共通項のある病理とが、組み合わせられる、

6.
2に戻り、5まで再び繰り返す、


ーーーーーーーーーーーーーー

 

一方、神のレシピは、悪魔のレシピと少し異なる。


ーーーーーーーーーーーーーー

1.
特定の病理の存在


2.
病理症状に、対処するための行動のルールが、なんらかの経験則から作られる、

認知行動療法も含む)

3.
上のルール、パターンを物語化する事で集団の防疫を確立させる、

 

4.
物語を軸に図像化、シンボルにする、


5.歌や踊りといった、神事という形で身体を同期させ、集団をまとめるための政治として、機能が最適化されるようになる、

 

6.
集団の支配領域拡大に伴い、上記の病理と共通項のある病理とが、組み合わせられる、権威が強化される

これはしばしば、物語の中興として語られる。
キリスト教で言えば東方の3博士訪問(ゾロアスター教徒)などである

 

7.
2に戻り、5まで再び繰り返す、


ーーーーーーーーーーーーーー


したがって上記を敷衍して言えば、
悪魔は病理であり、神は政治なのだ。

古代の知恵は、それを今日のような、「防疫」という科学的知識ではなく、エンタメとして受容することにより、そのヘゲモニーを確立させたのである。


裏側から照らして言えば、エンタメとして処理されない悪魔や神々は、生き残らなかった、否、生き残れなかった可能性が高い。

すなわち共同体の全滅である。

 

現代においても、新型コロナウイルスの瀰蔓が、何々株、第何波という形で、医療関係者から度重なる警告を受けているのは読者諸兄も知るところである。


マスク着用と、手袋着用、手洗いの励行、社会的距離の確保、宴会の自粛、咳エチケットや医療機関の早期受診などは、メディアを通して繰り返しその有用性が強調されてきた。


ところが、だ。

(私の見る限り)多くの人が、これを守ってなどいない。

それには複数の理由が考えられる。

 

 

1.個人における報酬がないこと。

2.共同体に対して不満を持つ異分子は、普遍的に存在すること

(嫌なやつに対して意図的にウイルスをばら撒く)


3.感染しても軽症である、他人が感染しても関係ないと考えること。

(こういったソシオパスは、アメリカの論文“Prevalence of Psychopathy in the General Adult Population: A Systematic Review and Meta-Analysis”. Frontiers in Psychology 12

によると、どうやら人口比4.5%ほどの割合で存在するようである)

 

概ね上記の因子により、物語を持たない共同体は淘汰されたのではないだろうか?


(単純に警告を理解できるだけの能力がない大莫迦者という理由は、ここでは無視する、そういった個体はそもそも原始社会では最初から淘汰されてきたであろうからだ、)

 

繰り返すが、共同体の一員であるという社会性霊長類の報酬回路を刺激する形で、神と悪魔は存在している。

これらは政治と病理に分類が可能であると記したが、これら立場や状況により変化する。

人間同士の戦争で負けた神は悪魔に貶められるし、その逆もしかり。


コロナ騒動の際、江戸時代の妖怪アマビエが神格化されてTwitter(現X)の俎上に載った(バズった)のも記憶に新しい。

著者の先祖である平将門も、神でこそあるものの、それはまつろわぬ神である。
神と悪魔は、ようするに人間関係の政治的なカテゴライズの問題なわけだ。


最後に結論を述べると、病理が存在し、上記のレシピを用意してやれば、神も、悪魔も、人工的に生み出すことが可能であることを本稿は論じる。

 

とはいえレシピのうち1から、4までは個人で可能だが、5から上は、他者が必要になる。

さらに、かつての古代宗教は発話のプロセスや、情報伝達の速度という制約が厳しかった。

ゆえに病理の発見から宗教の発生までは、数年から数十年単位での長い時間を要した。

 

 

例えば、増田神社佐賀県唐津市肥前町高串地区にある神社で、警察官の増田敬太郎巡査、コレラ防疫活動に従事し、1895年(明治28年)7月24日に25歳の若さで病死)

や、森川清治郎(台湾の土地神となった日本人警察官、日本統治時代の台湾で住民のため税の減免を願い出て台湾総督府との間で板挟みになって自決し、赴任地であった嘉義県東石郷副瀬村の霊廟「富安宮」で「義愛公」として現在に至るまで祀られている)


などは、明治以降に誕生した比較的新しい神であるゆえに、信仰発生の記録がかなり鮮明に残る稀有な例である。


増田神社の場合は、秋葉神社の分社のような形で、参拝が生じているため、1.4.5.6.2.3という順番になっているが、
上記のレシピのプロセスをきちんと踏んでいる。


そしてやはり、信仰の定着までには、10年ほどの時間がかかった。

 


しかし、現代では人口知能を活用すれば、神の誕生までの、情報伝達とシンボル化という時間的、空間的、人的制約をプログラムやアルゴリズムによりスキップし、パーソナルな神を容易に作成する事が可能となる。

 

特に、アップルウォッチなどのウェアラブル端末は、心房細動などの疾患を予測するのに非常に有用である。
こういったデバイスを通して、当論で明らかにした神のレシピをアプリケーション化し、さらに健康診断と紐付けすることができれば。


神や信仰は、オーダーメイドされた生活行動規範として、より効率的な「お薬手帳」として機能する可能性がある。


そこからさらにデータを取れば、未発見の病気の解明や、これまで特殊で複雑なため、研究し得なかったような合併症の理解も進むかもしれない。


当然、宇宙開発が進み、火星や月の移住が一般化すれば、そこでまた新たな病理が発見されて、神と悪魔も入り込んでくるであろうことは想像に難くない。

 

そこで新たに生まれた神や悪魔は、これまで以上に人類のさらなる健康の発展に寄与し、同時にエンタメとして私たちの人生をより豊かにしてくれるはずだ。


とはいえこれらの新しい神々は、必ず古き神々の反発を大いに受けるだろう。


自分が損していた、間違いをしたと思いたくない心理学的なサンクコスト効果は絶大であり、さらに政治として利用されてきた古い宗教には、利害関係者も多い。


2015年に公開された映画、「スポットライト・世紀のスクープ」では、アメリカのキリスト・カトリック教団が犯したレイプ犯罪を、司法や行政、警察すら巻き込んで集団的かつ、意図的に隠蔽し、被害を拡大させた事例が克明に描きだされている。


新型コロナウイルスでも、欧州では有色人種の罹患率が、コーカソイドのそれと比較して著しく高かったという報告は、記憶に新しい。


奴隷船貿易やインディアン虐殺、人種差別や、それによる貧困と犯罪など、私たちは、過去に作られた「神」に未だ縛られ続けている。


人の数が70億より多くなり、宇宙ステーションで衛星軌道に乗り数時間で世界を一周でき、

スマホを使って地球の裏側の人間とタイムラグなしで会話でき、

VRテレポートや国際電話というテレパシー、雷や水、炎、核分裂すら操り、

体細胞クローン猫や、人口知能という新しい命まで生み出したこの時代であるにも関わらず、だ。

 


ユヴァル・ノア・ハラリが指摘するようにノヴァセン、アンソロポロセンなどと、地質年代にも影響を与えるほど知恵を身につけたにもかかわらず、いまだに、古代の神々に縛られるのは、私たちの目から見ると、非常に奇妙に思える。

 


冷静に考えて見ると私たちは、その能力において、今や神話の時代の神そのものである。

宇宙を破壊できるオリュンポスの雷、かのゼウスと戦っても勝てるだけの力をすでに私たちは、エドワード・テラーの水爆という形で持っている。


世界中あらゆる地域にある神話の時代で語られるのは、神が人間を創造したという事であるが、しかし。


次の時代では、神が人間を創造するのではなく、「人間が神を創造する」。


そして神に使われるのではなく、神を使うことで、人間をより豊かにしていこうという、逆説的・汎神論こそが本稿最後の主張である。

ニーチェはかつてこう言った。

 

「汝、超人となれ」


そこで本論は、この言葉で締めくくる。


「汝、神を作れ」

 

 

 ◆◇◆


いかがだっただろうか?


ネコから始まり、ネズミ、犬や蛇、はやぶさ、そして、ウイルスと線虫、寄生虫にまで視野を広げた論考は、神と悪魔の機械的創造に終わる。

いかにも大仰に聞こえるかもしれないが、これは決して荒唐無稽ではなく、むしろ、人類がこれまで文化的に辿ってきた道筋をなぞる行為だ。


個人的な体験に由来する小さな精霊や、もののけ、病魔たちが、人と人との出会いによって合体し、強大な神や悪魔が作り出される様子。


これはすなわち人類史における、サピエンスの小規模集団が、家から村へ、村から町へ、町から都市へ、都市から国家へ、国家から連邦政府へと、拡張されていく様と、オーバーラップするものである。

 


つまり、我々は、何世紀もの間、口承文芸を通じて語り継がれてきた神々や悪魔などを自明であると思っているが、そのこと自体が我々にとって重要な歴史文化的財産なのである。

 

古い神を排し、新しい神々を興すという
先ほどと意見と矛盾するように聞こえるかもしれないが、


古き神々、悪魔たち、モンスターたちを体系的に収集して保存し、また互いの差異を尊重し合う慣習は、これからも守り続けなければならないだろう。


なぜなら、生活習慣を変えず、昔ながらのやり方を墨守する人間は、一定数以上に存在するからであり、著者自身もまた、信教という枠組み以外ではその手の行動様式を撲守する傾向を持つからである。


そしてこういった口承文芸の文化を語り継ぐことは、他者を理解し、尊重し、愛することにもつながる。


文化が社会の安定を形成する上で重要な役割を果たしていることを、今回の論考を通して改めて認識することができたと思う。


病理という観点から、ネコという生き物が、文化の中にどのように位置付けられ、語り継がれてきたのかを研究することは、他者の眼差しから、人間自身に対してより深く理解を探ることと同義であった。

 

ネコだけでなく他の動物との関わり方や、それが我々にもたらす影響を、今後も引き続き研究していくことが重要だ。

 

ネ申と和解するように、
ネコと和解せよ!